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岡倉天心に関連する新聞記事の見出し一覧です。 |
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天心が書いた書籍(翻訳)、天心に関する書籍です。 |
2003年3月13日、天心が初めて五浦を訪れてから100周年を迎えることを記念した「再興第87回院展 茨城五浦展〜天心、大観の精神を受け継ぐ画家たち」が、天心記念五浦美術館でスタートした(3月30日終了)。天心らが創立し、横山大観たちが再興した日本美術院の同人らによる作品68点を展示する。インドの高原を行く遊牧民を描いた平山郁夫氏の「故城下村民帰牧図」などが展示されている。 |
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近年高まりを見せるアジア諸国の外交アプローチは、アジアの価値観を世界の進歩と発展に役立てたいというアジア人が持つ当然の意識によって支えられている。
およそ100年前に岡倉天心らが唱えた「東洋の精神的観念がふかく西洋に浸透する時である」という主張を、いまマハティール首相らアジアの指導者がふたたび唱えている。「西洋は東洋をみならうときである」と。 |
岡倉天心(1862〜1913)
明治時代の美術指導者、思想家。東京美術学校校長として日本美術復興を推進、やがて1898年日本美術院を設立。ボストン美術館東洋部長もつとめた。この間、インド放浪などを経て、『東洋の理想』、『茶の本』などを英文で執筆し、仏教的価値を中核とする東洋思想を称揚した。 | 「アジアの普遍的な価値観を回復・復興するためにアジア人が力を合わせていく」思想、すなわちアジア主義思想の父、岡倉 天心は、「西洋近代の弊害(パワーと効率への偏重)を克服する価値観として、仏教をはじめとする宗教的価値観(愛と寛容)がいかに貴重か」を世界に示そう とした。 |
そうした有用な価値観を築きあげてきた東洋が欧米の支配下にあって、元気を失っている姿に天心は憤った。ここに熱烈な植民地解放闘争が生じる。
同時に、近代以降、欧米に支配され虐げられたという点において、東洋は運命を共有していると天心は叫んだ。それだけでなく、いかに多様であろうとも、宗教を生みだし、育てあげてきた精神を維持している点において、東洋は一体であると説いてみせたのである(→天心の言葉)。 |
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