5.日本の思想

近代化への足がかり

日本近世の思想(4)

1.洋学の展開

2.幕末の思想

1.洋学の展開

 江戸時代と言えば、有名なのは鎖国政策だよね。幕府の狙いは、キリスト教の排除と、貿易の制限により反幕府勢力が財を得、力を蓄えることを防止するためだったんだ。
 さて、キリスト教の排除という点で、とっても有名な三人の武将はさまざまな対応をしたんだけど、ちょっとだけそれをまとめておくと、織田信長は、仏教勢 力を抑制する目的で、キリスト教を認めたんだ。でも、豊臣秀吉は、日本の神仏を邪教として排斥するキリスト教を危険なものとして、1587年に判天連(バ テレン)追放令を出したんだね。あ、判天連っていうのは、宣教師のことだよ。徳川家康は、貿易重視の立場から、当初はキリスト教を黙認していたんだけど、 宣教師が信者を扇動して反乱を起こすんじゃないか、と思って、1612年には幕府の直轄領で、翌年には全国で、キリスト教を禁止したんだ。1637年の島 原の乱以後は、さらに宗教管理を徹底したんだ。明治維新後も、キリシタン禁制を続けたんだけど、外国からの非難を受けて、1873年にようやく禁制を解除 したんだ。

 さて、そんなことだから、江戸時代において西洋の学問といえば、蘭学、つまりオランダの学問が中心だったんだ。もちろん、あくまでオランダ語を通じていただけで、他の国の学問だったかもしれないんだけどね。
 で、洋学というのは、オランダだけじゃなくって、イギリスとか、ドイツとか、フランスとかも含んだ、蘭学よりも広い概念なんだ。

 西洋の学問を受け入れる際、日本人が考えたのは「和魂洋才」というものなんだ。これは、日本人の伝統的な精神を 基盤にして、その上に西洋の科学や技術を受け入れて、活かしていこうじゃないか、ということなんだけど。これは、西洋文化のうち、思想や道徳なんてものは 拒否して、技術だけを受け入れようとする点で、一面的な態度だとされるよ。

 西洋について理解を示した人物として、一番はじめに出てくるのは朱子学者・新井白石(1657〜1725)なん だ。彼はむしろ、「正徳の治」を実行した人物として有名だけど、それは日本史の範囲だね。彼は、日本に潜入したイタリア人宣教師シドッチを尋問して得たも のを、『西洋紀聞』という本にまとめたんだ。この中では、信仰というか、宗教については儒教の方がすぐれているとしながら、天文や地理に関する知識に対し ては、西洋に対し敬服する態度だったみたいなんだ。
 青木昆陽(1698〜1769)は、飢饉の時に『蕃薯考』という本を書いて、サツマイモ(甘藷)の栽培を唱えたことで有名な人だけど、この人は、通訳を介してオランダ人からオランダ語を学んだんだ。彼がいたことは、その後の蘭学の発展の大きな要因なんだ。

 みんな、『解体新書』というのは知ってるかな。オランダ語でいえば『ターヘル=アナトミア』。『ターヘル=アナトミア』を翻訳して、『解体新書』を著したのは、前野良沢(1723〜1803)と杉田玄白(1733〜1817)だね。二人とも蘭方医(オランダ医学を学んだ医者)なんだけど。
 前野良沢は、さっき出てきた青木昆陽の門弟で、昆陽にオランダ語を学んだんだ。二人は、刑死した人の遺体の腑分け(解剖)に立ち会ったんだけど、その 時、『ターヘル=アナトミア』と見比べてみたら、なんとその正確なことに驚いたというんだ。で、二人は、この正しい知識を普及させたいと願って、この本の 翻訳に励んだんだね。二人を「蘭学の祖」という人もいるよ。玄白の著書に『蘭学事始(らんがくことはじめ)』などがあるよ。

 その他、蘭学・洋学の発展に貢献した人として、ドイツ人医師シーボルト(Philipp Franz von Siebold/1796〜1866)、蘭学塾「適塾」を開き、福沢諭吉らを世に送り出した緒方洪庵(1810〜1863)、蘭方医大槻玄沢(1757〜1827)、思想家三浦梅園(1723〜1789)などがいるよ。



2.幕末の思想

 時は流れて幕末。近代化目前というところだね。このころの思想を見ていこう。

 まず、水戸学という学派が生まれた。当時、水戸藩で『大日本史』をまとめてたんだけど、それによって生まれた学 派なんだ。水戸といえば、水戸黄門。そう、徳川光圀が、彰考館をを設けたのが、そもそものはじまりだとも言えるね。水戸学ははじめのうちは朱子学をやって たんだけど、幕末に変化したんだ。水戸学で特に押さえておきたいのは、尊王攘夷論かな。これは、水戸学だけに限ったものではないんだけど、 ここで覚えておこう。尊王とは、天皇の崇拝。攘夷とは、外国人排斥。だから、天皇を敬って、外国人を排斥しよう、という考え方なんだ。まあ、その後、攘夷 が無理なことに気づいてからは、尊王討幕論に変わっていったんだけどね。
 幕末の水戸学を支えた思想家・学者としては、藤田幽谷(1774〜1826)、幽谷の息子藤田東湖(1806〜1855)らがいるよ。

 洋学者では、高野長英(1804〜1850)と渡辺崋山(1793〜1841)がいるね。彼らは尚歯会と いう西洋研究のグループを設立してたんだけど、幕府が、アメリカの商船モリソン号を打ち払ってしまったことについて、長英は『戊戌(ぼじゅつ)夢物語』 を、崋山が『慎機論』を著して批判したんだ。ところが、それに対して幕府は、尚歯会は反幕府グループだとして、尚歯会メンバーを投獄したりしたんだ。これ がいわゆる蛮社の獄ってヤツだね。
 佐久間象山(1811〜1864)は、和魂洋才を示す「東洋道徳、西洋芸術」という言葉を残したんだけど。この場合の芸術ってのは、いまでいう技術のことだということに、注意しておいてね。
 吉田松陰(1830〜1859)は、長崎や江戸で学び、江戸では象山と出逢ったりしたんだけど、海外留学を企てて失敗、投獄されたんだ。その後、私塾・松下村塾をたてたりしたんだけど、安政の大獄によって刑死してしまったんだね。
 その他、有名な坂本龍馬(1835〜1867)や、横井小楠(1809〜1869)などがいるんだけど、とりあえずここまで。