まとめ

↑図14:「恋の情」 方広智(廈門大学美術学部3年)パネル・皮紙・岩絵具
↑図15:「秋に思う」 洪尚専(廈門大学美術学部3年)パネル・皮紙・岩絵具 110×80cm
↑図16:「陽光」 楊麗娟(廈門大学美術学部3年) パネル・皮紙・岩絵具 65×80cm
↑図17:「しずか」 傳燦鋲(廈門大学美術学部3年)パネル・皮紙・岩絵具 65×80cm
↑図18:「春に思う」 潘賢湖(廈門大学美術学部3年)パネル・皮紙・岩絵具 60×80cm

 以上をまとめると、学習理念として、悠久の歴史を持つ重彩画を東洋で継続的に伝播・発展させていくために、異文化理解と交流を通して、徐々に各異 文化要素を融合させ、東洋の共通性に富む芸術精神や表現形式、美的感覚を育み続けていくことが必要である。重彩画芸術はある土地で、一旦安定した構成を形 成すると、また以前辿った地域へ逆流し、再び迅速に、広範囲に、深淵に伝播発展を遂げる。まさにこのような相互作用が、インド―中央アジア―中国―朝鮮半 島・日本―韓国・中国と巡る歴史的な芸術循環を円滑に運ばせている。

 現代の情報化社会による世界の一体化によって、中国絵画が世界に立脚し現代化を進めることは、歴史的必然だと思われる。現代日本(重彩)画の先進的経験 を学習し参考にすることは、中国伝統絵画の新創造と現代へ赴く新しい道を開拓するのに有益であると考えられる。しかし、注意しなければならないのは、盲目 的に自己が持っている弊害を克服することである。ある中国以外の学者もこの問題に気付いている。「自分たちが文化を発信した国ですから、外国のものを受け 入れるなんてとんでもない、という風潮がある」と述べる。(注16)

 筆者は次のように考える。中国人が古代に発明した火薬は西洋に伝わると、改良されロケットとなった。今日、勇気を持ってそれを学びに西洋へ行き技 術を習得して持ち帰り、中国で大空に衛星を打ち上げるに至った。つまり以前の中華民族の智慧と情感が発露した重彩画芸術、異国の地にそれを根付かせ、日本 文化と西洋文化の接ぎ木の役目を果たし、各々輝かしい果実を結ばせたこの芸術を、中国人も必ず改めて学習し、また自分のものとすることができるであろう。 なぜなら、それは中国絵画に活力を与え、発展させる基本的条件の一つであるからだ。(図14〜18)

訳:高橋亜季(廈門大学海外教育学院)


注1:戴蕃豫著『中国仏教美術史』p.92-p.98 中国・書目文献出版社 1995
注2:梅忠智編著「平山郁夫、高階秀爾対談日本美術」『日本画と日本画技法』p.24
 中国・河南美術出版社 1999(平山郁夫・高階秀爾著『世界の中の日本絵画』日本・美術年鑑社 1994)
注3:王勇、上原昭一主編『中日文化交流史大系(7)芸術巻』p.1 中国・浙江出版社 1996
注4:同注3
注5:宮脇理、花篤実編著『美術教育学』p.252〜p.255 日本・建帛社 1998
注6:王維(701-761)、字は摩詰、唐時代の詩人、画家。祁(今の山西省)の人。仏教を崇拝し、山水を好んだ。明の董其昌によって山水画「南宗」の祖をされた。
注7:朱トウ(1626-1705)、別号八大山人等。清初の画家。江西南昌の人。明朝寧王朱権の末裔。明滅亡後、出家して僧となり、また道士にもなった。
注8:原済(約1642-約1718)、別号石涛等。清初の画家。もとの名を朱若極。広西全州人。明朝の皇族朱享嘉の子。明滅亡後、出家して僧となり、法号を原済、また元済ともいう。
注9:同注1,毛小雨著『インド壁画』p.10 中国・江西美術出版社 2000
注10:林風眠(1900-1991)、中国現代の著名な革新画家。かつてフランスに留学。
注11:田自秉著『中国工芸美術史』p.79 中国・知識出版社 1985
注12:同注3 p.14
注13:同注3 p.14
注14:1998年日本東京日本橋三越で開催された「文化勲章画家作品展」日本画部門の挨拶文による。
注15:沈子烝編『歴代論画名著匯編』p.5-p.6,p.17 中国・文物出版社 1995
注16:同注2 p.30
図1:「夜半踰城」(模写・敦煌莫高窟第397窟・隋時代) 呉文尚(廈門大学美術学部3年) パネル・皮紙・岩絵具 65×80cm
図2:「張議潮出行図」(模写・敦煌莫高窟第156窟) 傳燦鋲(廈門大学美術学部3年) パネル・皮紙・岩絵具 65×80cm
図3:「天蓋を持つ玉女」(模写・永楽宮壁画) 洪尚専(廈門大学美術学部3年) パネル・皮紙・岩絵具 65×80cm
図4:「団扇を持った玉女」(模写・永楽宮壁画東壁中段) 楊麗娟(廈門大学美術学部3年) 65×80cm
図5:「漆奩彩絵車騎出行図」(長沙・前漢時代の墓より出土) 前漢時代 木胎粉彩
(図6・7:観世音菩薩の造形は、中国中原文化の影響により男性的から女性的に変化した。)
図6:「観世音菩薩」(新疆クムトラ石窟第21窟) 4世紀
図7:「菩薩」(模写・敦煌莫高窟壁画) 游冠逹(廈門大学美術学部3年) パネル・皮紙・岩絵具 65×80cm
(図8〜10:インド文化の仏の造形と仏教の内容や中原文化の動物の表現形態が、敦煌において融合した。)
図8:「7つの仏陀の変身と弥勒菩薩」(インド・アジャンター石窟第17窟) 壁画
図9:「壁画車馬図」(陝西省咸陽市・秦3号宮殿遺跡東壁) 秦時代(B.C.221-A.D.220) 泥地設色
図10:「須摩提女縁品」(敦煌莫高窟第275窟西壁中層壁画) 北魏時代
(図11〜13:文化の相違により、飛天の表現は様々に変化し、最終的に敦煌で気韻生動と骨法用筆を持った作品が現出した。)
図11:「因陀羅と天女たち」(インド・アジャンター石窟第17窟壁画)
図12:「飛天」(新疆キジル石窟壁画) 4世紀
図13:「飛天」(模写・敦煌莫高窟第289窟西壁中龕西側) 方広智(廈門大学美術学部3年) パネル・皮紙・岩絵具 65×80cm
(図14〜18:廈門大学美術学部中国画専攻3年生の現代重彩画による習作である。)
図14:「恋の情」 方広智(廈門大学美術学部3年) パネル・皮紙・岩絵具
図15:「秋に思う」 洪尚専(廈門大学美術学部3年) パネル・皮紙・岩絵具 110×80cm
図16:「陽光」 楊麗娟(廈門大学美術学部3年) パネル・皮紙・岩絵具 65×80cm
図17:「しずか」 傳燦鋲(廈門大学美術学部3年)パネル・皮紙・岩絵具 65×80cm
図18:「春に思う」 潘賢湖(廈門大学美術学部3年)パネル・皮紙・岩絵具 60×80cm

朱トウ:トウ→大+耳
女カ:カ→女へん+口+内
顧ガイ之:ガイ→りっしんべん+豈

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