国際標準化がなぜ今重要なのか
−標準音痴日本の失速−

この記事は通産省・工業技術院・国際規格課長の藤田昌宏さん(当時)から許可を得て掲載しています


国際標準化がなぜ今重要なのか
−標準音痴日本の失速−

通産省工業技術院 国際規格課長   
藤田 昌宏(当時)    

5 日本の現状

 さて、以上のような「規格」の世界の変化の中で、これまでの日本の対応はとても十分なものとはいえない。前述の環境変化4点それぞれについて述べたい。
 第一の「規格の世界的統一」への動きだが、我が国は国際規格の策定作業にはこれまでも参画してきてはいる。しかしながら我が国の意見は国際規格に十分に 反映できていない。他国が提案した規格案に賛否の投票はしても、日本から規格を提案することは少なかった。このためJISを国際規格に整合化するといって も、各論にはいると困難な問題が多い。身近な例を拾えば、日本中に張り巡らされた電線やガス管の太さ、B判の紙の大きさ、ペンチやスパナといった工具の規 格なども国際規格に合っていない。国際規格では、電力メーターは家の中に設置されることが前提だし、洗濯機は前面の扉を開けて洗濯物を入れることが前提で ある。
 国際規格を作るために、ISO、IECには合計約1000の個別分野の技術委員会があり、それぞれに幹事国が決められている。幹事は規格作成のために、 各国に資料を配付し、会議をアレンジし、議事録を整え、参加各国の意見を集約して規格の原案をとりまとめる。いわば規格作りの現場で汗を流す仕事だが、日 本の幹事の引き受け数は、独、米、英、仏の3分の1以下であり、日本の経済力を全く反映していない。「日本は自国のことのみに専念し、国際的なインフラ作 りには貢献しようとしない」と批判されている。
 例えば、昨年IECの機構改革が行われ、従来なかった「常任理事国」制を導入することになった。15ヶ国の理事国の内のいくつかを無選挙の「常任」とし ようとするものである。問題は常任理事国の資格だが、当初事務局案は「幹事国引き受け数上位5ヶ国」というものであった。この時点でIECの幹事国引き受 け数は、日本は11(第8位)で、仏(34)、米(33)、独(24)、英(23)のみならず、イタリア(16)、スウェーデン(12)、オランダ (12)よりも少ない。巨大エレクトロニクス企業を多数擁する日本がこのままではIEC常任理事国になれないという事態に立ち至った。幹事国の引き受け数 は、国際標準化への貢献度を示すわかりやすいバロメーターであり、事務局の案はそれなりに筋が通っているのだが、日本は「IECに対する財政的貢献も同様 に斟酌すべきだ」と提案し、各国の苦笑混じりの賛同を得て、結局、仏、米、独、英、伊とともに日本も常任理事国になることができた。結果としては良かった が、決まるまでの過程は薄氷を踏む思いで、日頃の貢献の足りなさのツケを今払わされていると感じたものである。
 第二の「管理システム規格」に関しても日本の対応は遅れた。我が国の企業とすれば、自分達の品質管理システムが世界最高であり、英国から始まった国際規 格を今更導入する必要を感じなかったということもあったであろう。欧州などでの国際入札で資格要件とされてあわてて対応に走ったというのが実状である。
 世界に冠たる品質管理レベルを誇っていたはずの日本の手法が国際的な普遍性を持ち得ず、英国製の品質管理規格に押しやられたことはそれ自体興味ある問題だが、ここでは詳述しない。しかし、日本発の世界標準の実現の難しさが、ここにも端的に現れているといえる。
 地球環境問題の観点からも注目を集めているISO14000(環境管理)シリーズでは、ISOに7つの主要な技術委員会が設けられているが、幹事国は 加、英、蘭、豪、米、仏、ノルウェーの各国で、日本は幹事国になっていない。公害対策と省エネルギーでは世界の模範と自任しているのにである。
 第三の「相互承認」の分野でも日本の対応は遅れている。欧州と日本との制度の相違が大きいこともあって、欧州とのMRA交渉は他の先進国のものと比べる とまだまだ初期の段階にしかない。欧州・米国・カナダ・豪州・ニュージーランドが合意に達していることを考えれば、先進国の中で日本だけが取り残される絵 が既に見えてきている。このままだと欧州と韓国やマレーシアとのMRA協議の方が先行するかもしれない。
 第四の「先端分野の標準」の世界でも、従来我が国では技術開発と標準とをリンクさせる発想に乏しかったのではないか。
 「日本企業は、システム市場の主要商品を開発して市場を直接支配するよりは、戦略的に重要な市場商品のなかの部品とかサブシステムの二番手の供給会社としての地位に甘んじてきた。」
「革新的会社が成功するためには、市場の標準となる技術を世に出す必要がある。このようなやり方は、日本のどの企業も不得手である。」(ウィリアム・ファイナン他「日本の技術が危ない」日本経済新聞社)
 日本企業は、まず単体の商品開発をしてから標準化を図る発想が根強く、欧米の企業はまずシステムを構築して標準を固め、それから商品開発をするという根本的な相違があるとの指摘も聞く。
 ISO、IEC活動において、構造的に日本が不利な要因もある。技術委員会は欧州や北米で開催されることが多いが、はるばる日本から出かけて行くには時 間もかかるし費用もかさむ。欧州の人達が、東京から大阪に出張するような気楽さで会議に集まるとき、我々は時差を克服しながら高い飛行機代を払って地球を 半周しなければならず、往復だけで3日を費やすのである。通訳もいないマルチの会議で国を代表して英語で議論をするのは、多くの日本人にとって気の重い仕 事でもある。
 加えて日本や米国が欧州よりも不利なのは、国際規格が最終的には投票によって決められることで、仮に意見が対立した場合、日本も米国も1票なのに対し、 欧州はまとまれば18票を有するのである。但し、対立したまま投票で決着をつけるのは実際には稀で、各国の専門家同士の長い時間をかけた協議の結果規格案 がまとまっていくというのが通例であるが、無言の圧力になっていることは間違いない。

6 我が国の今後の対応

 以上のような状況に鑑みれば、我が国の国際標準化活動の抜本的強化が急務であることは明らかであろう。国際規格、国際標準の重要性が格段に高まり、我が国の産業の死命を制しかねない状況であるのに、満足な対応ができていないのである。
 まず政府としての取り組みを強化しなければならない。
  今後の国際標準化政策の指針を得るため、本年5月通産大臣より日本工業標準調査会に対し「我が国の国際標準化政策のあり方」を諮問させていただいた。同調 査会に山本卓眞富士通名誉会長を部会長とする「国際部会」を設置し、現在大変精力的に御審議いただいている。答申は秋にはいただく予定であるが、通産省で はこれまでのところ次のような対応を講じてきている。
 第一に体制の整備である。
 通産省では昨年7月に工業技術院標準部の機構を大幅に拡充した。国際問題担当の「標準審議官」ポストを新設し、加えて筆者が属する「国際規格課」と ISO9000や14000等の管理システム規格や前述の相互承認制度を担当する「管理システム規格課」を新しく設けた。更に本年7月には国際規格課内に 「国際標準企画室」を設置し、ISO/IEC対応の強化を図っている。行政改革の渦中に他の組織を廃止してまで標準部を拡充しているのは、当省の危機感の 表れともいえるだろう。
 第二にJIS等の国内規格と国際規格との整合化を進める必要がある。
 TBT協定の実効を確保しより自由な貿易を促すため、JISを国際規格に最大限整合化させることが必須である。一方、整合化の過程で極力混乱が生じないようにもしなければならない。
 国際規格とJISとの整合化に関しては、「規制緩和推進計画」(1995年3月閣議決定)の中に具体策の一つとして盛り込まれ、更に「緊急円高・経済対 策」(1995年4月経済対策閣僚会議決定)においてその実施の前倒し(5ヶ年から3ヶ年に短縮)が決定されている。これら決定に沿って現在約8000存 在するJIS規格の内、整合化が必要な1000以上の規格を国際規格に合わせる作業を進めている。
 一方で、実際に利用されていない国際規格や技術的に時代遅れになっている国際規格も多いとの指摘がある。それが事実であれば、我が国から適切な国際規格案を提案し、それら規格の改変にも取り組まなければならない。
 規格の作成に際し、消費者や中小企業者、環境などへの配慮も不可欠であるから、そうした観点からの調整も我々の役割となる。
 第三は環太平洋地域との連携の強化である。
 JISはアジア各国でも広く取り入れられており、躍進著しいアジア太平洋諸国との連携の強化も不可欠である。また、国際規格はアジア諸国にも適用できるものでなければならない。例えば、寒冷地域と熱帯地域では、建材などの規格の内容も随分違うものにならざるを得ない。
 既にAPECにおいては、「基準・適合性評価小委員会」が設けられ規格の整合化の議論をしている。APECで国際規格に関する意見を集約してISO等に提案していこうという動きも出てきている。
 太平洋地域の標準機関のフォーラム(PASC:Pacific Area Standards Congress/太平洋地域標準化会議)等の活動も強化し、APECとともに国際規格作成が欧州主導にならないように非欧州諸国の影響を強めていく必要があるだろう。
 本年4月佐藤通産大臣が米国デイリー商務長官と会談した際には、今後両国間で国際規格を共同提案する等標準の分野で協力を図っていくことが確認された。
 第四に技術開発と標準化のリンケージの強化を図っている。
 技術開発政策や産業政策に、デファクトスタンダードも含めた標準化の視点をもっと織り込むことも検討されるべきである。いくら資金と人材を投入して立派な技術を開発しても、それが世界標準にならなければ研究開発投資は水泡に帰することになりかねない。
この点は、昨年12月橋本総理のリーダーシップの下で決定された「経済構造の変革と創造のためのプログラム」の中でも、「国際規格の重要性の高まりを受 け、我が国として国際標準化活動に主導的に参画する体制を整備していく」と謳われ、例えば新製造技術関連分野の政策においては「生産システム面での標準化 活動は、今後の製造業の国際競争において極めて重要な戦略的意味を有して」いると述べられている。
 このような観点から、平成8年度の補正予算では、新たに20億円が計上され、国際規格提案のための技術開発支援のスキームが設けられた。平成10年度予算でも標準開発型の新たな研究開発予算を要求している。
 また、前述のITS関連では、平成9年度から初めて標準化のための予算が約3.4億円計上された。

 次に産業界の対応の強化である。この部分は定性的になるが、要は産業毎にその実状に応じて国際標準化活動に本腰を入れて取り組むということに尽きる。
 ISO、IECの技術委員会の活動のような個々の国際規格の策定作業に参画するのは民間産業界である。政府では、主なものだけでも1000を数える ISO/IECの個別の委員会にとても対応できない。その技術的な知見すら無い。従って人的、資金的な負担を含め、産業界の一層の取り組みの強化がなけれ ば、我が国の国際標準化活動は実態を伴い得ない。
 国際規格作りは金もかかるし人も取られるが、必ずしも企業の短期的利益に直結しない。いわばインフラ作りであり、ボランティア仕事の側面もある。流暢な 英語で高度の技術論を戦わせることのできる人材が日本の企業に溢れているわけでもない。それでも我が国が国際標準化の分野で今後能動的な役割を果たしてい かなければ、不可逆的なグローバリゼーションの流れの中で大きな不利益を被ることになるだろう。
 筆者がある大企業の総務系統の人との雑談のついでに、国際標準化の重要性を訴えたところ「そんなに重要なことなんですか。社史編纂室と同じとは言わない ものの、それほど重要とはつゆ思いませんでした」と言われた。これは余りに認識不足としても、国際標準化活動に対する日本の企業内の評価は、ソニーのよう な一部の企業を別にすると総じて低すぎるように思われる。欧米の大企業では標準の仕事は社内でちゃんと評価されている。だからこそ第一線の優秀な技術者が 誇らしげな顔をして(勿論自分の会社の費用で)国際規格の会議に参集して来るのである。

 日本は明治以降猛然と西洋の技術や制度を取り入れてきた。法制度から哲学に至るまで欧州諸国から導入した。戦 後においても、独禁法や証券取引法、企業会計なども主として米国から導入し、既に出来上がっていたGATT・IMF体制に参加した。産業技術も片っ端から 欧米のものを導入し、それに伴って規格も外から持ち込んだ。こうした姿勢は現在も変わっていないのではないだろうか。ルールであれ規格であれ外から持って くることが、キャッチアップを成し遂げた今も私達の習い性になっているのではないか。
 「規格がどんなものであれ日本企業は器用だから対応できる。従って国際規格は他の誰かに作ってもらえばよく、面倒な国際規格策定プロセスに参画しなくて もさして心配はいらない」という意見を今でも聞くことがある。戦後長い間、外から与えられたルールの中で善戦してきたという自信がこのような発言を生むの であろうが、競争の条件が大きく変容していることを十分に認識できていない御発言と思わざるを得ない。
そもそもルールは公正無私な神によってもたらされるものではない。利害関係者が集まって作るのである。誰しも自分に有利に作ろうとするのが自然である。 フェアプレーが身上のスポーツの世界でさえ、バレーボールのように国際ルールが日本に不利なように変えられてきた例があると聞く。同じことである。
 できてしまったルールに異議を唱えても「負け犬の遠吠え」にしかならない。加えて、公共のインフラであるルール作りに参加せず利用だけするという態度 は、余裕のない小国ならいざ知らず我が日本の態度としては美しくない。憲法上の制約がある安全保障とは異なり、経済ルールの外部依存は日本が果たすべき責 任を果たしていないということである。
 経済のグローバリゼーションの中で、政府も産業界も、今後何の分野であれ我が国の利害に関わる国際的な枠組み作りに参加し、参加するだけでなく具体的に 貢献し提案していかなければならない。要求されるとやむを得ず応じる受け身の対応をやめ、国際的なルールメイキングに参加しなければならない。「ルールを 共に作り、そのルールに従う」のが日本の経済分野の行動規範となるべきである。ルールテイカーからルールメイカーへ。「規格」の分野は我が国の姿勢が端的 に問われている具体例とみるべきであろう。

 最後に、唐突なようだが日本人の英語教育についてどうしても付言したい。
筆者は、国際標準化機関の要人に「日本が国際標準化に十分貢献できない事情はわかっている。日本にはエンジニアはいるが、英語のできるエンジニアがいない ということだろう」と訳知り顔で言われて情けない思いをしたことがある。語学力と交渉力は相当程度リンクする。日本から何であれ世界標準を発信していくに は、英語力は不可欠だ。
 日本人の英語学習にかける時間は膨大なものである。授業と自習を合わせれば、まじめな学生は年間300時間、中学から大学の教養課程までで2000時間 は英語を勉強するであろう。これほどの貴重な時間とエネルギーを費やしたあげく日常会話も満足にできないというのは、教育方法に余程の欠陥があるからであ る。辞書もろくになかった幕末の蘭学塾から何ら進歩していない。そもそもほとんどの日本人英語教師に会話能力がないのではないかと筆者は疑っている。初期 教育では、英語は学問ではなく「技術家庭」のような技能ととらえるべきだ。英語の教師の資格を英検一級合格者か外国人に限るくらいの思い切った措置が必要 ではないか。

 「和魂洋才」という言葉は、菅原道真の「和魂漢才」が明治期に変じたものだそうだが、「才」は技術ということ であろうから日本は既に「洋才」はひととおり身につけたといえる。今や日本は世界のルールと標準(グローバルスタンダード)に対応しなければならないとい うことから、ルールと標準を「則」という字に体して、今後は「和魂洋則」を期するべきではないだろうか。そしてこの「則」の作成に日本自身も大いに関わる ことが何より必要なのである。

(1997年9月)
(本稿中意見に属する部分は私見である)


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