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45歳にして立つ

  「士農工商」の封建社会にあって、広く庶民に「あきない」の基本を説き、京都商道の開祖ともいわれているのが石田梅岩です。梅岩は江戸時代中期の貞享二 (一六八五)年、現在の亀岡市の農家に生まれました。子どもの頃から律儀でまじめな人だったらしく、生まれつきの理屈ぽい性格を改めようと努力した話や、 奉公先のおばあさんから「たまには外に出かけてみたら」と夜遊びをすすめられたエピソードなどが残されています。
 梅岩は十一歳の頃から京都の呉服屋へ奉公に出されますが、仕事のかたわらで「自分とは何か」「人間はいかに生きるべきか」などを真剣に考えるようにな り、早朝から窓辺に向かっては書物を読み、夜もみなが寝静まった後に勉学にいそしむなどして、ついに京都車屋町御池上ルの借家に念願の講座を開きました。 梅岩四十五歳のことだったといいます。


商人の役割を肯定

 梅岩の教えは「石門心学」と呼ばれています。儒教や仏教、日本古来の神道の思想を取り入れたもので、当時は憎むべきものとされていた商人の営利活動を積 極的に認め、勤勉と倹約を奨励しました。彼のこうしたポジティブな考え方が、先取の気概にあふれた京都の町衆に広く受け入れられたのでしょう。
 「聴講料無料、出入り自由、女性もどうぞ…」。これは梅岩が掲げた開講の行灯です。彼の分け隔てない講座はいつも大盛況でしたが、ある日のこと、出席者 がたった一人ということがありました。その受講生は恐れ入って帰ろうとしましたが、梅岩はそれを押しとどめ、「私はただ机に向かって講義することもある。 君一人がいれば十分だよ」と平然と講義を始めたといいます。この真っ正直なひたむきさこそ、まさに石門心学の原点といえるものなのです
 梅岩は代表作である「都鄙問答」「倹約斉家論」を著してのち、六十歳で亡くなりますが、そのスピリットは多くの弟子へと受け継がれ、三百十五年を隔てたいまなお、京都商法の中に生かされています。


今こそ、先人の教えから、商道の原点にかえるべき時。心を新たに日々“あきない”に取り組むべきと考えシリーズで掲載いたします。
 

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