九鬼周造の閉じた日本論

「日本的性格について」における異文化摂取の可能性に関する一考察

【 INTRODUCTION 】

グローバリゼーションに関する言説が横行し、空間的距離の隔たりを無視して一瞬にして情報を圧縮し伝達することを可能とするメディアの発達する今 日、あたかもその反動かの如く、ある種の民族主義的・ナショナリズム的な潮流もまた同様に世界各地で台頭しつつある(1)。そうした状況下において「異文 化」(より広く言えば「他者」)を如何に理解すべきかという問題は、より切実なものになっているといえよう。

本論では、そうした問題意識を踏まえて、『思想』に掲載された九鬼周造の論文「日本的性格について」(1937)における「異文化摂取」の問題を取 り上げてみたい(2)。一読して分かることだが、この論文はそれに先立つ『「いき」の構造』(1930)に比べると、九鬼特有の幾重にも折り重なる豊かな 感性を著しく欠いており、坂部恵氏も指摘するように、当時の平凡な文化的ナショナリズム(ないし文化特殊主義)に傾斜しているのは否めない。本論は、九鬼 の論理を読み解くことで、その傾斜の詳細を明らかにすることを目指すものである。

【 HYPOTHESIS 】

さて、九鬼の議論をあまりにも軽々しく「文化的ナショナリズム」などと特徴付けてしまったが、「この論文に目を通したならば、九鬼はそんな偏狭な立 場には立っていない」と反論が来るかもしれない。というのも、九鬼は論文の終わりで以下のように述べているからである。やや長くなるが、引用してみよう。

日本的性格を自覚し力説する立場は日本主義であり、世界的性格を自覚し力説する立場は世界主義である。日本主義とは日本人の国民 的自覚に基づいて日本独特の文化を強調して、自己の文化的生存権を高唱する立場ということができる。……世界主義とは自国の価値を標準とするような独善的 なことを考えないで自国以外の他の諸国の文化の特色や長所をもそれぞれ認め、その正当の権利を尊重して人類共存を意図する立場である。(pp. 78-79)

このように日本主義と世界主義とを対置したのに続いて、九鬼はこの二つの立場の関係を「個別と一般の関係」に置き換え、個別と一般との相互循環性を 主張する。つまり、一般は個別のうちにのみ顕現し、個別は独自な仕方でみな一般を表そうとする、と。類なくして個はあらず、はたまた、個なくして類あら ず、といったところであろうか。その考えに基づいて、九鬼は最後に日本文化のあるべき姿を次のような逆説的な言葉で締めくくっている。

……我々は飽くまでも日本文化の特殊性を体得して日本主義の立場に立つべきであると共に、広く世界の文化を展望してその優秀なる ものを包容するだけの雅量を示さなければならぬということになる。……日本文化を指導する原理は日本主義的世界主義または世界主義的日本主義というような 一見逆説的なものでなければ本当ではない。(p. 80)

従って、この箇所を読む限りでは、九鬼の考える日本文化とは決して閉鎖的な文化ナショナリズムではないと思われる。それどころか、まさに冒頭で述べ たようなグローバリゼーションと右傾的ナショナリズムの拮抗する現代において、きわめて理想的な文化の理念を提示しているかのように感じられる。

だが、果たして話はかくもうまく行くのだろうか。筆者が読む限りでは、九鬼の日本的性格に関する議論は、このような理念とはどうしても矛盾するよう に思えるのだ。つまり、九鬼の議論にはある種の限界があり、結論の理念との間には論理的飛躍があると感じられるのだ。先に本論の目標を「九鬼の文化的ナ ショナリズムへの傾斜の詳細を明らかにすること」だと述べたが、その主旨をより正確に言えば、九鬼の議論が内在的に抱え込む限界と論理的矛盾を明らかにし、一見すると聞こえの良い「日本主義的世界主義」が実は単なる日本主義の枠内にとどまるのではないかという点を指摘することである。以下、九鬼のテクストの精読を通じて、この仮説の是非を検証してみよう。

【 ANALYSIS 】

九鬼は論文の冒頭で、日本的性格を問うこととは、具体的には「日本文化」を把握することであると規定し、できるだけ現実に即して日本文化について考 えていこうと述べている。これが九鬼の基本的な方法論的姿勢であり、九鬼は和歌や国学者らのテクストを具体的に解釈することを通じて、日本文化の性格を浮 き彫りにしようと試みている。

その際、九鬼は日本文化と言っても、現実に即して言えば、「大和ごごろ」に代表されるような、他文化が全く介入していない日本固有の独自の文化が存 在するわけではない点に注意を促している。九鬼の考える日本文化とは、「印度文化や支那文化を摂取して渾然として一つに融合している日本文化」のことであ る(3)。そして、このインドと中国の文化を摂取した日本文化を「東洋全体を背景とする日本文化」と呼び、それを「西洋文化」と対置させて考えている。い や、九鬼の言葉を引けば「西洋文化の浸潤によって醸された国民的自覚の衰退に対して日本文化の特色を強調」するため(4)、こうした西洋/東洋という二項 対立的図式が要請されたと言った方が正確であろう。要約すれば、「西洋文化に対する東洋文化、東洋文化を背景とする日本文化を念頭に置いて日本的性格の本 質をとらえて行こうとする」ことが(5)、九鬼の論文の基本的態度である。無論、彼のこうした態度を当時のナショナリズムの言説に照らして解釈することも 可能であろうが、本論ではそうした視点は脇に置き、あくまで九鬼の論理自体にこだわっていこう。

九鬼は日本文化が持つ主要な契機として「自然」「意気」「諦念」の三つを挙げている。詳細は避けるが、自然とは「おのずからなこと」であり、この性 格は日本の道徳観、政治・社会形態、芸術など至るところに具体化されていると考えられている。第二の意気とは、とりわけ「武士道精神として日本人の血の中 に流れている性格」とされ(6)、高い理想の実現のためには一身を賭すという気概、即ち「理想主義」だと述べられている。第三の諦念は、「自己の無力を自 覚すること」と規定されており(7)、特に日本的な仏教に最もよく現れていると言われている。また、その他にも諦念は、日本人の物にこだわらない思い切り のよさといった趣味趣向のうちにも見出されると考えられている。

さて、この三つの契機は、発生的見地から見ると、自然が神道的、理想主義的な意気が儒教的、非現実主義的な諦念が仏教的なものだと類型化されてい る。この点において、冒頭で九鬼が述べていたように、儒教という中国文化と仏教というインド文化とが日本土着の神道と融合した形の日本文化、つまり、「東 洋全体を背景とした日本文化」が考えられているのが如実に見て取れる。だが、興味深いことに、九鬼はそれだからといって「現存の日本文化とは外来の二つの 文化を摂取し、自身の固有な文化と融合させただけものに過ぎない」とは決して考えていない。九鬼の考えでは、神道的自然主義のうちには意気と諦念という二 つの契機の発展する可能性がもともと秘められていたのであり、その可能性の実現に向かっての「内的な」自己発展の過程で、(あくまで付随的に)儒教・仏教 の「外的な」摂取も起こったというのである。日本固有の自然という契機は、外界からの影響がなくとも、独力で意気と諦念という二つの契機をも「おのずか ら」発生せしめることができたはずだ、と九鬼は考えているのだ。自然が意気と諦念とにおのずと通じる様を、九鬼は得意の言葉遊びを交えて次のようにまとめ ている。「自然に生きる生き方が力としての意気でもある」(8)、「自然をそのまま明らかにすること、明らめることが諦めである」(9)。

となると、九鬼の論理に従うならば、日本文化が外来の文化を摂取するためには、その文化の本質をなす契機(ここでは意気と諦念)が、自己のうちに、 もっと正確に言えば神道的自然のうちに種子の如く可能性として内在していなければならない、ということになる。逆に言えば、その可能性が内在している限 り、他文化の摂取は可能ということにもなる。その限りでは、論理的に考えるならば、九鬼の考える文化とは可能性を自己のうちに有している限り、異文化に対 して必ずしも排他的にはならないであろうと想定される。そのような意味では、九鬼の日本文化は、ともすれば外部に対して「開かれた文化」にもなり得ること になる。

しかし、そのような好意的な解釈は、九鬼が「西洋文化」を摂取の対象とは見なしていなかったという事実によって、見事に否定されてしまう。

九鬼は日本文化の特殊性を浮かび上がらせるために、西洋文化と比較対照させるという方法論を選択した。例えば、西洋では自然と自由とが対立的に捉え られているのに対し、日本では自然と自由とが相即的に会得される傾向があるといった事例を挙げることによって、九鬼は自然の特質を浮き彫りにしようと試み ている。そうした方法によって西洋文化と日本文化がともに抽象されたため、西洋文化は九鬼の考える日本文化の対極に位置することになり、西洋文化的契機を 自己展開させる可能性は最初から除外されてしまっているのだ。換言すれば、彼の方法論自体が、日本文化が外部へと開けていく可能性を閉ざしてしまっている のだ。九鬼の方法に則っている限り、つまり、「神道の自然という契機のうちに秘められた可能性」を外来文化の摂取の条件と見なしている限り、(東洋や西洋 以外の文化であればいざ知らず)少なくとも西洋文化と日本文化とが融合する可能性はない。その意味では、九鬼の日本文化は、ともすれば外部に対して「閉ざ された文化」にもなり得ることになる。いや、繰り返しになるが、九鬼が日本文化に対する西洋文化の影響を述べる際に、「西洋文化の浸潤によって醸し出され た国民的自覚の衰退」などと記述している以上(10)、実際、九鬼のいう日本文化は西洋文化に対して「閉ざされている」と見るほかあるまい。

では、もしも日本文化が西洋文化を摂取できるとするには、どう考えればよいのだろう。西洋に対する日本文化の排他性は、九鬼の方法論が生み出した 「日本文化の本質としての自然」という契機それ自体が西洋文化と相容れないものであるという点に由来する。となれば、この本質自体を外部に開かれたものに するほかに手立てはない。つまり「あらゆる発展の可能性を秘めた本質」というべきものを想定するほかあるまい。しかし、自然という「実体的」契機は、西洋 文化と対置され、自己発展を通じて東洋文化(のみ)を摂取できるものとして生み出されたのであるから、九鬼が自然という契機に固執する以上、「あらゆる発 展の可能性を秘めた本質」といったものは存在しないだろう。そこで、多少考えを改め、本質を実体化しなければどうだろう。要するに、具体的な本質が存在し なければどうなるだろうか。それであれば、自己同一性を根底から支える本質が存在しない以上、あたかもブラックホールのように、あらゆる異文化を際限なく 摂取しそれに同化できるのではなかろうか。しかし、残念ながら九鬼自身、そうした可能性は考慮しつつも、あっさりと否定して切り捨てている。

普通に日本的性格、従って日本文化の特色として挙げられることは、日本人の同化力に基づいて外来文化を受容し集大成して文化が複 質性または重層性を示しているということである。……仮にそれが日本文化の特色であるとしても、それは単に形式的な原理であって、日本文化の内容そのもの を具体的に捉えているものではない。更にまた、そういう形式がすべてであって、日本文化の内容そのものは常に変化して何等一定の形態を有つたものでないと いうような懐疑的な見方も理論上は可能であるかも知れぬが、現実を直視した結果として生じたものとは考えられぬ。(pp. 65-66)

九鬼はできるだけ現実に即した考察、具体的テクストの解釈を通じた解釈学的考察を旨とした結果(11)、今筆者が想定した理論的可能性は非現実的だ として退けている。結局、我々が九鬼に対して九鬼の論理に即して内在的に提示した「日本文化が西洋文化を摂取できる可能性」は、ことごとく退けられてし まったことになる。

【CONCLUSION 】

となれば、日本文化は一体如何にして西洋文化を包摂できると言うのだろうか。ひいては、一体如何にして日本主義の立場を保持しつつも、世界主義の立 場にも立つという逆説的な主張が可能になるのだろうか。残念ながら、この九鬼の論文ではその問いに対する回答は与えられていない。にもかかわらず、九鬼は 理念としての世界主義的日本主義(ないしその逆)なる逆説を提起するのである。仮に、この論文が講演に基づくものであり本格的なテクストとは呼べないとい う事情を考慮にいれたとしても、やはりこの九鬼の結論は論理的には飛躍というほかないのではなかろうか。そして、九鬼の考えていた日本文化とは、あくまで「自然」という本来的契機を揺るぎ無き自己同一性の基礎に据え、世界主義的日本主義にはけっして到達することのない、せいぜい東洋文化を包容するに限られた、偏狭な文化ナショナリズムの域を越えるものではないのではないか。それこそが、九鬼のこの論文から筆者が読み取った「九鬼の考える日本文化の限界」であり、九鬼の議論の限界である。

ただし、九鬼自身の失敗はともかくとしても、文化的アイデンティティを巡る現代の葛藤的状況の下において、彼のいう「逆説的理念」それ自体 −そう、対立する二元が融和することなく邂逅する二元論− は可能性を秘めたものなのかもしれない。九鬼の遺産を現代に生かさんとするならば、世界主義的日本主義という逆説を、九鬼のような日本文化の本質から基礎 付ける仕方でもなければ、単なる弁証法的綜合によってでもなく(12)、まさに逆説を逆説として成り立たしめる論理を考え出さねばなるまい。いや、もはや それは論理ではなく、「非論理的論理」あるいは「論理的非論理」といった、それこそ逆説的なものなのかもしれないのだけれど。

【 NOTES 】

原文からの引用に関しては、すべて現代的仮名遣いに改めてある。また、強調箇所は九鬼によるものであり、……は筆 者自身が引用に際して省略を施したものである。また、原文よりの引用に際し、現在の視点からすれば不適当な表現も見受けられるが、九鬼の論文に則すという 方法論的要請ゆえ、ご寛恕願いたい。

  1. こうした文化の普遍化/個別化という背反的事情を抱え込む典型例が、カルチュラル・スタディーズであると言えよう。そうした事情を理論的に解析したものとして、Hillis Miller, Illustration, Harvard U. P., 1992 を参照。そこでは「カルチュラル・スタディーズの政治的プロジェクトの内部に暗き可能性として光を発し続けるナショナリズムの形態の危険性」(p. 49)が指摘されつつも、かといって文化的特殊性を無差異化し普遍化した場合、かえってアメリカに代表される支配的文化の消費圏に囚われてしまうという袋小路にも似たアポリアが描かれている。特に pp. 43-54 の「カルチュラル・スタディーズのアポリア」の節を参照。
  2. 使用したテクストは九鬼全集ではなく、原文が最初に発表された『思想』第177号(昭和20年2月号)、pp. 64-81である。以下、断りがない場合、このテクストからの引用であり、ページ数もそれに準拠している。
  3. p. 64
  4. p. 65
  5. ibid.
  6. p. 69
  7. p. 70
  8. p. 73
  9. p. 74
  10. p. 65
  11. もっ とも、九鬼が解釈の対象として選んだテクストの選定自体がそもそも、西洋文化的なものを内包する可能性を排除することの始まりと言える。つまり、テクスト の選定自体が既に、九鬼の描く「日本文化」を念頭に置いてなされたもの、即ち、そうした日本文化像に関する先行理解のもとでなされたものであるので、その テクストの解釈から西洋文化を摂取しうる日本文化が導出されないということは、当然といえば当然なのかもしれない。仮に、西洋文化との接触のもとで記され たテクストを解釈の対象に加えていたならば、違った日本文化像が導き出された可能性はあろう。無論、解釈(ないしテクストの理解)に際して対象に関する先 行理解が介入することそれ自体は、解釈学的に言えば、避けられないことであるし、そのこと自体は方法論的に問題となる事柄ではない。しかし、九鬼の場合、 テクストの理解と先行理解の間の循環性に対して、あまりに無自覚的過ぎるという点は否定できない。
  12. この点で、「類的種」「種的類」という二つの観点から文化・民族の問題を考えた田辺元らと九鬼の思想の比較は重要であろうが、残念ながら本論ではそうした作業は一切手付かずである。