更新12.11/17
梅原猛氏の略歴(『朝日人物辞典』より) |
(1925年〜)哲学者,作家。宮城県生まれ。1948年(昭23) 京大哲学科卒。龍谷大,立命館大の講師を経て,67〜69年立命館大学教授,72〜86年京都市立芸大教授。この間に京都市立芸大学長も務めた。その後国 立国際日本文化研究センターの設立に尽力し,87年所長に就任。初期の作品『地獄の思想』(67年)は,かつて和辻哲郎が日本精神の伝統を尊皇思想にお き,鈴木大拙が禅思想においたのに対して,独自の立場を主張したもの。『隠された十字架−法隆寺論』(72年。毎日出版文化賞受賞)は,日本古代史の再検 討を通して聖徳太子=怨霊説を提出し,その後に展開されたさまざまな分野の霊魂論議に先鞭をつけた。また『水底の歌−柿本人麿論』(73年。大佛次郎賞受 賞)で独自の万葉−人麿論を展開,「梅原日本学」の据野をさらに広げた。他方早くから縄文文化の研究にも意欲を燃やし,アイヌ語と沖縄語の分析を手がける とともに,「縄魂弥才」というキーワードを用いて日本の精神文化の重層構造に光を当てた。「縄魂弥才」とは縄文の魂と弥生の技能の意で,「和魂漢才」や 「和魂洋才」の梅原版パラダイムである。この方面の研究成果に『 日本人の「あの世」観』(89年)があり,日本人の「あの世」観の基本的特質が魂の永遠の再生もしくは循環にあることを明らかにした。このほか『写楽−仮 名の悲劇』(87年),市川猿之助のために書き下ろした新歌舞伎の脚本『ヤマトクケル』(88年),戯曲『ギルガメシュ』(88年)などがあり,『梅原猛 著作集』20巻(81〜83年)が刊行されている。(山折哲雄) |
梅原猛氏の見解 | 私の考え方 |
さても、広く尋ね、深く蔵(かく)するにつきては、男女の事こそ、罪なき事に侍(はべ)れ。(『とはずがたり』) |
ごふかくさいんのにじょう(1258〜?)鎌倉中期の日記文学作者。中院源雅忠の女。四歳から後深草院御所に育ち、のち院の女房となる。西行に憧れ、1288年出家して諸国を遍歴。晩年、『とはずがたり』を書き、自分の経験した愛欲生活をつぶさに描く。 |
昭和十五年(1940)、宮内庁書陵部に眠っていた『とはずがたり』が世に紹介された時、まず学者たちを驚かしたのは、そこに表れた当時の貴族たちの愛欲生活の生々しさであった。 この手記の作者は後深草院二条。名門村上源氏の出身である彼女は、母・大納言典侍を二歳にして失った。この母は後深草院に初めて男女の道を知らしめた女 性であり、従って院は大納言典侍を慕い、その忘れ形見の二条を四歳の時から宮中で育て、二条は十四歳で院の寵を受ける身となる。 |
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これはいわぱ、光源氏が紫上を幼いころより育て、後に妻とするのとよく似ている。『とはずがたり』には、至るところに『源氏物語』を模した場面が見られるが、『源氏物語』とは世界が違うと思う。それはひとことで言えぱ、『とはずがたり』における道徳意識の欠如である。 もとより『源氏物語』においても男女の交わりは自由であり、犯してはならない人を犯す場面も多い。しかし登場人物たちはみなその罪の意識に悩み、それ故(ゆえ)、死に至る人さえいる。『とはずがたり』の世界には、そういう苦悩煩悶(はんもん)というものがほとんどない。 |
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作者・二条もいささかだらしがない。院の寵愛を受けながら西園寺実兼らしい「雪の曙」なる恋人の子を産み、さらに後深草院の実弟の仁和寺の阿闍梨(あじゃり)性助法親王らしい「有明の月」の子を二度にわたって産むのである。 しかしもっと奇妙なのは、後深草院の方である。彼は多くの女漁りの後に、二条その人を他の人と関係させてそれを覗き見したり、また実弟・亀山院との共寝に彼女を誘うのである。 このマルキ・ド・サドの世界のような院の所業の背後にあったのは、実は立川流(たちかわりゅう)の真言密教の思想であった。冒頭の言葉は、巻三「真言の御談義」が果てての宴の席で、院が言った言葉である。 真言密教の教えによれば、男女の愛には罪がない。むしろ男女の性の交わりこそ、最も端的な「即身成仏」であると言うのであろう。後深草院は性助法親王と 二条を前にしてこの言葉を語った。二人の罪を許そうとしてであろうが、それ以上にこの言葉は日頃の院の信念を述べたものに違いない。 『とはずがたり』の後半は、宮中を追われた二条が「女西行」となって諸国を遍歴するという話であるが、この物語の中心は、後年、図らずも「石清水八幡宮」で二条が院と出会い、一夜、伏見御所で彼女のその後の身の上について院に語るところにあろう。 その時、院は二条に「この旅の間、あなたは色々男と関係したであろう」と問うたのに対し、二条は「機会はありましたけれど、宮中を出てからは一度たりとも男性と接したことはございません」ときっぱりと答えるのである。 |
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私はこの二条の言葉を、院の奉ずる真言立川流の哲学の否定とみる。彼女は『源氏物語』の浮舟の如く、世を捨て、清浄の身となっている。もはや、男たちのか
わいい性の玩具(がんぐ)ではない。彼女は、自分を、その好色哲学の実験の道具とした恋しい男にひとこと言いたかったのである。 伏見の一夜を持つことによって彼女は救われた、と私は思う。 |
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