Japanese Section, York University AP/JP4000 .6.0 Advanced Readings in Modern Standard Japanese Reading & Writing: Travel log & diary 「キューバで考えたこと二」 |
2009年2月13日(金) 曇り 空港に着いて荷物が重量超過ではないかと危ぶまれたが、全く問題なくエア・カナダ970便に搭乗。隣に中国系の弁護士をしている若い男性、窓際にビクトリアから来てる熟年女性がいて、色々話が弾んだ。彼女は世界中を旅行して歩いているとのこ と。アフリカにも行っていると言う。 三時間ちょっとで無事ハバナに到着。税関も全くチェックなしで通過。心配していた新品の プリンターと中古のラップトップは無事持ち込むことができて、ほっとする。エルディスさんが迎えに来ているはずだが姿が見え ないので、少し換金をして待っていると、程なく して、エンリケのお父さんが運転手で来てくれた。以前も仲良くしていたので、家に着いてチップを弾むと、遠慮したが、喜んでいた。 カリダード、グロリア、ヤールーと旦那の楊氏と会う。楊氏は英語もスペイン語もほとんどでき ないので、つたない普通話で会話を試みるが、結局ヤールーに通訳してもらう。以前使った大きな部屋には彼らが入っているの で、元ヤルーが使っていた小さい部屋になって、少々がっくりだが、まあ仕方がない。 アデラに電話をするとホルヘが出て、アデラは六時ごろ帰ると言う。その後何回か電話をしたが、お話中でつながらなかった。そ うこうしている内にヤールーと楊氏が晩御飯に招待してくれたので、大分夜遅くまで話をした。ビールやラムも御馳走になった。 ヒルベルトから電話で、明日午前中に来るとのこと。ノエルも電話で、やはり明日来てくれると言う。 カリダードに五日分の食事代として三十ペソ払う。 2009年2月14日(土) 晴れ
朝食を終えてしばらくして、ヒルベルトが来たので、ハード・ドライブとメモリーそれに色々なお土産を渡す。ブカネロのキャップを買っておいてくれ
た。行きつけの近くの飲む場所で、ビールをかなり飲んだ。いろいろな話ができて楽しかった。
夕方ノエルから電話ですぐ家の近くに来ていると言う。妊娠中の奥さんと尋ねて来てくれた。感じのいい夫婦である。
やっとアデラに連絡が取れたが、風邪を引いているとのこと。その内に会えればいいこ
とにする。
来週から使う教材にたくさん不備が見つかり、大慌てで直すことにしたが、講義ノートの一つに間
違ったファイルがすり替わっていて、元のファイルがどこにも載せてないので、去年渡したCDから、取るしかないと、月曜日に
エルディスに聞く予定である。カナダのウエッブにも同じ問題があるので、何とかこちらから、据え換えられないか、エンリケに頼んでみるつもりで
ある。あまり間違いが多いので、びっくりである。
2009年2月15日(日) 晴れ
午後散歩に出て、大分歩き、パノラマホテルまで行く。海岸で、スロバキアからの二人の若者と知り合い、家に招待して、ビー
ルをほぼ一ケース開けてしまっ
た。マヨとピーターは、二人とも二十一歳で、旅行でハバナに昨日着いたたばかりと言う。高校で習っただけと言うがなかなかよ
く英語が話せる。ピーターのお
じいさんが昔キューバ大使だった関係で、大使館に泊まっているとのこと。飲みながら話が弾んで、楽しかったが、飲み過ぎ。
2009年2月16日(月) 晴れ
目がさめて時計を見ると七時近かったので、シャワーを浴び、着替えをして、出かける準備をし、もう一度時計を見るとまだ三時
であった。飲み過ぎの所為で、夕食を済ませたかも定かではなかったが、冷
蔵庫には何も残っていなかったので、ちゃんと食べたのであろうが、どうも調子が悪い。四時間ぐらい眠れると思ったが、結局一睡もできなかった。朝食を取って迎
えの車を待っている間、少し仮眠。エルディスによると、グァテマラの大統領が
来ていて、交通混雑で遅くなったとのこと。プリンターとラップトップを無事フレックスに届けることができたので、ほっとす
る。
今回のセミナー参加者は、六人のはずだが、今日は四人だけで、前回参加しなかったカティアが来ていたので、復習も兼ねて、前
回の内容を説明して、今回のセ
ミナーに入った。前回は理論的なことを多くやったので、今回は具体例にあたって、参加者の日本語の力も付けるよう、やってい
くつもりである。特に相乗効果と感情移入を骨子に考えている。アクセントの練習を入れたり、
ホット・ポテトを利用して、実際に練習問題を作らせる課題を与えたりしたので、参加者の満足度と期待度も
高いように見える。
ノエルに頼んで、エンリケにこちらのアカウントを作ってもらった。何とかメールが使えて、サーバーにファイルが送れるといい
が、うまくいくかどうか余り期待できなさそうである。
帰路は、スサナがルイスさんに電話をして迎えに来てもらう。気のいいおじさんで助かる。
夕食を済ませて、散歩に出たが、大分暗くなったので、急いで戻る。前半は四日間の授業で水曜日が休みとのこと。
シャワーで熱い湯が出るのでとても助かるが、お手洗い中びしょびしょになってしまうのには閉口。ヤールーはよく我慢してこんなところに一年も住んでいたものだと、
中国人の忍耐力には今更ながら感心する。こちらにいる間にできるだけス
ペイン語の勉強をしようと思う。
2009年2月17日(火) 晴れ
朝スサナがルイスさんの車で迎えに来てくれる。カナダからのお土産のスカーフを上げると、早速身に付けてくれた。今朝の授業
は、特に、相乗効果と感情移入
と発話行動に重点をおき、実際に会話教材を使って練習させた。スサナからケータイで外国に電話する時の番号991を教えても
らったので、授業の前にフラン
に電話すると難なく通じたので、安心した。最後の時間は、擬古文の例
として、福澤の「学問のすすめ」を
読み始める。エンリケが大学のIPをラップトップに入れてくれたので、明日からメールが使えると思う。一時に授業が終わっ
て、オレステスさんが家まで送ってくれた。午後また五番街に散歩。いつも閉まっているカトリックの教会が開いていたので、休憩。大分歩いたが、少し風邪気味なので、あまり調
子がよくないので、脚が疲れた。明日は授業がないので、うれしい。
散歩から帰って、早めに夕食を済ませる。魚の料理は、とてもおいしかったが、小豆のスープは、甘みのないお汁粉みたいでいただけなかったので、砂糖を入れてデザート代わりに食べたら、まあまあで
あった。
ヤールーと楊氏が夕食を食べている時にいろいろな話になり、最後は楊氏と筆談で十一時ごろまで話して
いた。仕事中多量の放射線を浴びて、55歳で定年退職したとのこと、中
国政府に対して非常に批判的なので、話が弾んだ。七月初め、北京への帰路
トロントに寄りたいとのこと、色々な情報を与える。シャワーが途中で壊れたようで、お湯が出なくなってしまった。
2009年2月18日(水) 晴れ
カリダードに明日からの五日分の食事として三十ペソ渡す。銀行にも行きたかったのと、FLEXでメールをやりたかったの
で、歩いていこうかと思っていると
ころにオレステスさんが車で迎えに来てくれたので、早速FLEXまで行ったが、エルディスの話では、八時半から停電とのこと
で、一時まで待ったが結局、だ
めで、折り良く来ていたアデラと一緒にバスで帰宅。タク
シーよりバスの方が面白い。アデラにお土産を渡し、ハード・ドライブやメモリーも上げる。近くの料理店に飲みに入り、大分長
い間話をしていた。家に戻って、お茶を飲みながら話を続け、その後海岸に行って薄暗くなるまで、歓談。夕食が遅くなり、ヤールー夫
婦と一緒に食べる。ヒルベルトから電話があり、明日FLEXで連絡するとのこと。フランに電話をする。
昼に銀行に行ったが、交換レートがあまりにもひどいので、今回は頭に来た。カナダドルは70%ぐらいにしかならない
ので、大損である。
2009年2月25日(水) 晴れ
授業がない日なので、朝食後、アリ
メンダレス川の畔の
ベンチに座って、貸しボートをこいでいる人たちを見ていると、隣のベンチにカップルが座ったので、旅行者か聞くとトロントか
ら来たとのこと。ジェイソンと
フランチェツカである。彼女の方がスペイン語のクラスがあるからと、出かけたので、ジェイソンをアルメンダレス・クラブに連
れて行き、ビールを飲みながら
歓談。IT関係の仕事なで、色々話が合う。39歳でまだ結婚していないと言うので、色々話が弾んだ。ビールは彼が払ってくれ
た。トロントでの再会を約す。
帰宅してから、五番街に散歩に出たが、ビールを飲んだ所為で足が重かった。バリのTシャツを着ていたので、インドネシア大使
館の館員夫婦と立ち話をした。
キューバには13年もいるとのこと。こちらは一年持たないと思う。
2009年2月26日(木) 晴れ
授業は、異文化間コミュニケーションの話をして、二時限目に教材がどう作られているかについて話す。授業の後、メールを読ん
で、スサナと帰宅。二人とも昼飯を食べていなかったので、例のレストランに行って、パエヤを注文する。非常においしく、量も
多く、大きな伊勢えびが載っているので、大感激。しかも10CUCである。三人分の量はあ
る。非常に良心的でいい。残りはスサナの旦那にとお土産に持たす。五番街で散歩中、またカナダ人のカップルに会う。女性の方
は話好きであったが男の方は、まあまあであった。
2009年2月27日(金) 晴れ
朝おばさんたちが遅れて来たので、水のポンプを操作して、水が出るようにし
た。来週の木曜日のパーティーについてスサナにカリダードと話してもらった。とりあえず50ペソで買い物をするとのことなの
で、今日は銀行に両替に行くつもりである。ルイスさんの車で出勤。
授業は、初めが古文で、みんな少しずつ慣れてきた感じで、福澤の「学問のすすめ」を継続して読む。
来週の金曜日までに提出する日本語を第二外国語にするプランについて相
談を受けているので、スサナに日本歴史を別個に教えるのではなく、日本研究のモジュールの一つとして、文化社会にも言語学習
にも役立つ日本に大きな影響を与えた異文化との接触に関する出来事を中心にしたらいいと提案。
来週ノエルと三人で詳しい話をすることにした。その後銀行に行って両替。スサナがいっしょに行ってくれたので助かる。カード
は利用できず、長い間待たされ
た。次にヒルベルトの学生にホットポテトの紹介をすることになっていたが、学生が二人しか現れなかったので、一時間半ほどで
終わる。ラウラとリーシーが下
で待っていると言うので、みんなでタクシーで家に帰る。カリダードにお金を渡す予定であったが、すでに帰ってしまっていた。
みんなで近くの料理店に行き、
遅い昼食を取る。ヒルベルトと一緒に鳥のチョップスイを注文する。量も多く非常においしかった。しかもたったの2CUCであ
る。ヒルベルトも感心してい
た。リーシーはスパゲティーを注文し、ラウラが残りを食べていた。ビールも飲みながら楽しく歓談。明日の午後のイベントに
誘ってくれた。バラデロ行きは非
常に経費がかかるので、延期になりそうである。
帰宅してから、五番街に散歩に行ったが、ビールを飲んだ所為で、途中で、尿意を催して、家まで持たな
いと分かったので、途中で立小便をした。
大分遅く夕食を食べた。
2009年2月28日(土) 晴れ
今日は、午後ヒルベルトとラウラがこの近くのラ・メソンという国営のクラブに連れて行ってくれると言うので、彼らが来るま
でスペイン語に慣れるようテレビ
を見ていた。三時過ぎに二人が来て、七番街にあるラ・メソンまで歩く。本当にすぐ近くである。おじさんたちのバンドが六十年
代の音楽をやるということ
で、カバー・チャージに一人一CUCを取られるとのこと。ヒルベルトは生ビールがなくなって残念だという。ビールを注文して
しばらく待っていると、確かに
年配のおじさんたちのバンド演奏が始まる。長髪の
リード歌手は結構うまい。ラウラの働いているブリティシュ・カウンセルの運転手のマヌエルとその彼女、メインテナンスの仕事
をしているマークが同席。マー
クの奥さんは転んで手術のためにイギリスに帰っているとのこと。キューバ人の赤ん坊を養子にすべく準備中だそうである。ラウ
ラも知らなかったと、驚いてい
た。音楽演奏も酣に
なり、ちらほら遠くで踊っている若者が見えたが、こちらの方は誰も踊っていないので、立って隣のテーブルに座っていた五、六
人の中年女性に誘うとその中の
一人が一緒に踊ってくれた。なかなか面白そうな女性である。その後ろのテーブルにやはり中年の女性たちの一群が座っていて、
その中にインド系のようなすば
らしい美人の若い女性が座っていたので、身振りで踊らないかと誘うと、一緒に踊ってくれた。セクシーでしかも着ている物のセ
ンスもよく、最高。その後前の
女性とこの彼女と代わる代わるに踊ることしばし。これを見ていた知らないキューバ人のおじさんから一緒に写真を撮ってくれと
言われ、一躍スター気分。ヒルベルトは、今日の主役は日本人
だねと言っていた。汗をかくほど踊ったのは久しぶりだったが、すごい気分転換になったと同時に、妙齢の美人に心が動く自分に瞬時の若さも感じた。ヒルベルトが歌手と一緒に写真
を撮ってくれた。彼は日本語でありがとうと言ってくれた。ヒルベルトはこちらに合わせて少し踊ってくれたが、ラウラや他の女
性は頑なに踊らない。踊ってくれた二人の女性に名前を告
げ、名刺を渡すと、美人女性と一緒に来ていた中年の女性
が、帰る間際に名前と電話番号の書いた紙片を渡してくれ、電話をするよ
う合図してくれた。グラディスと書いてあった。売春婦とやり手婆さんとい
う感じは全くなかったので、ちょっとびっくりしたが、うれしかった。また、中年女性のグループの一人が私にも名刺をくれとい
うので渡す。
夕食のために、ラ・メソンを出て、パエヤを食べに行きつけの近くの店に行ったが、長蛇の列。
別のレストランも同じだったので、ラウラの案内で、また七番街に戻り、上海という中華料理屋で夕食。食事はまあまあであった
が、量も少なく値段も高い。
ラ・メソンの側を通ると、ファッション・ショウをやっていた。我が家でお茶を御馳走して、お開き。すごく楽しい日であった。
2009年3月1日(日) 晴れ後雨
今日は午前中にアデラに電話をして夕食に誘う。喜んでOKしてくれた。ラ・メソンでビールを飲み、行きつけのレストランで
夕食をする予定。テレビでアメリカ映画をやっていたので、いくつか見る。
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太田徳夫 © Norio Ota 2008 |
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