方丈記(三)
鴨長明
わが身、父方の祖母の家を伝へて、久しく彼の所に住む。其後縁欠けて身おとろへ、しのぶかたがたしげかりしかど、つひに屋とゞむる事を得ず。三十余りにして、更にわが心と一の庵をむすぶ。是をありしすまひにならぶるに、十分が一也。居屋ばかりをかまへて、はかばかしく屋を作るに及ばず。わづかに築地を築けりといへども、門を建つるたつきなし。竹を柱として、車を宿せり。雪降り風吹くごとに、あやふからずしもあらず。所、河原近ければ、水難も深く、白波のおそれも騒がし。すべてあられぬ世を念じ過ぐしつゝ、心を悩ませる事、三十余年也。其間折々のたがひめ、おのづから短き運をさとりぬ。すなはち、五十の春を迎へて、家を出て世をそむけり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官禄あらず、何に附けてか執をとゞめん。むなしく大原山の雲にふして、又、五かへりの春秋をなん経にける。
こゝに六十の露消えがたに及びて、更に末葉の宿りをむすべる事あり。いはば旅人の一夜の宿をつくり、老いたる蚕の繭を営むがごとし。是を中ごろのすみかに並ぶれば、又百分が一に及ばず。とかくいふほどに、齢は歳々に高く、すみかは折々に狭し。その家のありさま、世の常にも似ず、広さはわづかに方丈、高さは七尺がうち也。所を思ひ定めざるが故に、地を占めて作らず。土居を組み、うちおほひを葺きて、継目ごとにかけがねをかけたり。若し心にかなはぬ事あらば、やすく外へ移さむがためなり。その改め作る事、いくばくの煩ひかある。積むところわづかに二両、車の力を報ふほかには、さらに他の用途いらず。今、日野山の奥に跡を隠してのち、東に三尺余りの庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚を作り、北によせて、障子をへだてて阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、前に法花経を置けり。東の際に蕨のほとろを敷きて、夜の床とす。西南に竹のつり棚を構へて、黒き皮籠三合を置けり。すなはち、和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。かたはらに琴、琵琶おのおの一張を立つ。いはゆる折琴、継琵琶これ也。仮の庵のありやう、かくの如し。
その所のさまをいはば、南にかけひあり。岩を立てて水をためたり。林の木近ければ、爪木を拾ふに乏しからず。名を音羽山といふ。まさきの葛跡うづめり。谷しげゝれど西はれたり。観念のたよりなきにしもあらず。春は藤波を見る。紫雲のごとくして、西方ににほふ。夏は郭公を聞く。語らふごとに、死出の山路を契る。秋はひぐらしの声耳に満てり。うつせみの世を悲しむほど聞ゆ。冬は雪をあはれぶ。積り消ゆるさま、罪障にたとへつべし。若し念仏物うく、読経まめならぬ時は、みずから休み、身づからおこたる。さまたぐる人もなく、又恥づべき人もなし。ことさらに無言をせざれども、独り居れば、口業ををさめつべし。必ず禁戒を守るとしもなくとも、境界なければ、何につけてかやぶらん。若し跡の白波にこの身をよする朝には、岡の屋にゆきかふ船をながめて、満沙弥が風情をぬすみ、もしかつらの風、葉をならす夕には、尋陽の江を思ひやりて、源都督の行ひをならふ。若し余興あれば、しばしば松の響きに秋風楽をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。芸はこれつたなけれども、人の耳をよろこばしめむとにはあらず。ひとり調べ、ひとり詠じて、みづから情をやしなふばかりなり。
又、ふもとに一の柴の庵あり。すなはちこの山守がをる所也。かしこに小童あり。時々来りてあひとぶらふ。若しつれづれなる時は、これを友として遊行す。かれは十歳、これは六十、その齢ことのほかなれど、心を慰むること、これ同じ。或は茅花をぬき、岩梨をとり、零余子をもり、芹をつむ。或はすそわの田居にいたりて、落穂を拾ひて穂組を作る。若しうらゝかなれば、峰によぢのぼりて、はるかにふるさとの空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽束師を見る。勝地は主なければ、心を慰むるにさはりなし。歩み煩ひなく、心遠くいたる時は、これより峰つゞき、炭山を越え、笠取を過ぎて、或は石間にまうで、或は石山を拝む。若しは又粟津の原を分けつゝ、蝉歌の翁が跡をとぶらひ、田上河を渡りて、猿丸大夫が墓をたづぬ。帰るさには、折につけつゝ、桜を狩り、紅葉を求め、蕨を折り、木の実を拾ひて、かつは仏に奉り、かつは家づととす。
若し夜しづかなれば、窓の月に故人をしのび、猿の声に袖をうるほす。くさむらの蛍は、遠く槙のかゞり火にまがひ、暁の雨は、おのづから木の葉吹く嵐に似たり。山鳥のほろと鳴くを聞きても、父か母かと疑ひ、峰のかせぎの近くなれたるにつけても、世に遠ざかるほどを知る。或は又、埋み火をかきおこして、老のねざめの友とす。恐ろしき山ならねば、ふくろふの声をあはれむにつけても、山中の景気、折につけて尽くる事なし。いはむや、深く思ひ、深く知らむ人のためには、これにしも限るべからず。