方丈記(四)
鴨長明
おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども、いますでに五年を経たり。仮の庵もやゝふるさととなりて、軒に朽葉深く、土居に苔むせり。おのづからことの便に都を聞けば、この山にこもりゐてのち、やむごとなき人のかくれ給へるもあまた聞ゆ。ましてその数ならぬたぐひ、尽くしてこれを知るべからず。たびたび炎上にほろびたる家、又いくそばくぞ。たゞ仮の庵のみ、のどけくして恐れなし。程狭しといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり。一身を宿すに不足なし。かむなは小さき貝を好む。これ事知れるによりてなり。みさごは荒磯にゐる。すなはち人を恐るゝが故なり。われまたかくのごとし。事を知り世を知れれば、願はず、わしらず。たゞしづかなるを望とし、うれへ無きを楽しみとす。
惣て世の人のすみかを作るならひ、必ずしも事の為にせず。或は妻子、眷属の為に作り、或は親昵、朋友の為に作る。或は主君、師匠、及び、財宝、牛馬の為にさへこれを作る。われ今、身の為にむすべり、人の為に作らず。故いかんとなれば、今の世のならひ、此の身のありさま、伴ふべき人もなく、たのむべき奴もなし。縦広く作れりとも、誰を宿し、誰をか据ゑん。
夫、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、懇ろなるを先とす。必ずしも情あるとすなほなるとをば不愛。只糸竹、花月を友とせんにはしかじ。人の奴たるものは、賞罰はなはだしく、恩顧あつきを先とす。更にはぐゝみあはれむと、やすくしづかなるとをば願はず。只わが身を奴婢とするにはしかず。いかゞ奴婢とするとならば、若しなすべき事あれば、すなはちおのが身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人を従へ、人をかへりみるよりやすし。若し歩くべき事あれば、みづから歩む。苦しといへども、馬鞍、牛車と心を悩ますにはしかず。今一身をわかちて、二の用をなす。手の奴、足の乗物、よくわが心にかなへり。心身の苦しみを知れれば、苦しむときは休めつ、まめなれば使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず。物うしとても、心を動かす事なし。いかにいはむや、常に歩き、常に働くは、養性なるべし。なんぞいたづらに休みをらん。人を悩ます、罪業なり。いかゞ他の力をかるべき。衣食のたぐひ、又同じ。藤の衣、麻の衾、得るにしたがひて肌を隠し、野辺のおはぎ、峰の木の実、わづかに命をつなぐばかりなり。人にまじはらざれば、姿を恥づる悔もなし。糧乏しければ、おろそかなる報をあまくす。惣てかやうの楽しみ、富める人に対していふにはあらず。只わが身ひとつにとりて、昔今とをなぞらふるばかりなり。
夫、三界は只心一つなり。心若しやすからずは、象馬、七珍もよしなく、宮殿、楼閣も望みなし。今さびしきすまひ、一間の庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でて、身の乞匃となれる事を恥づといへども、帰りてこゝに居る時は、他の俗塵に馳する事をあはれむ。若し人このいへる事を疑はば、魚と鳥とのありさまを見よ。魚は水にあかず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林を願ふ。鳥にあらざれば、其の心を知らず。閑居の気味も又同じ。住まずして誰かさとらむ。
抑一期の月かげ傾きて、余算の山の端に近し。たちまちに三途のやみに向はんとす。何の業をかかこたむとする。仏の教え給ふ趣は、事にふれて執心なかれとなり。今草庵を愛するも、閑寂に着するも、障りなるべし。いかゞ要なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさむ。しづかなる暁、このことわりを思ひ続けて、みづから心に問ひていはく、世をのがれて山林にまじはるは、心ををさめて道を行はむとなり。しかるを、汝姿は聖人にて、心は濁りに染めり。栖はすなはち、浄名居士の跡をけがせりといへども、たもつところは、わづかに周利槃特が行ひにだに及ばず。若しこれ貧賤の報のみづから悩ますか、はた又妄心のいたりて狂せるか。その時、心更に答ふる事なし。只かたはらに舌根をやとひて、不請阿弥陀仏両三遍申してやみぬ。
于時建暦の二年、弥生の晦日ごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にして、これをしるす。
方丈記