伊勢物語(いせものがたり) ()

                           

むかし、をとこ、うひかうぶりして、平城(なら)の京、春日(かすが)(さと)にしるよしして、(かり)()にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。このをとこ、かいまみてけり。おもほえずふるさとに、いとはしたなくてありければ、心地(ここち)まどひにけり。をとこの()たりける狩衣(かりぎぬ)(すそ)を切りて、(うた)を書きてやる。そのをとこ、しのぶずりの狩衣をなむ著たりける。

かすが野の若紫(わかむらさき)のすり(ごろも)しのぶのみだれ(かぎ)り知られず

となむおいつきていひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。

みちのくの(しの)ぶもぢずり(たれ)ゆゑにみだれそめにし(われ)ならなくに

といふ歌の心ばへなり。昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける。

 

                           

 むかし、をとこありけり。平城(なら)の京は(はな)れ、この京は人の家まださだまらざりける時に、西の京に女ありけり。その女、世人にはまされけり。その人、かたちよりは心なむまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。それをかのまめ男、うち物語らひて、歸り來て、いか思ひけむ、時は三月(やよひ)のついたち、雨そほふるにやりける。

()きもせず()もせで()をあかしては春のものとてながめ()らしつ

 

                           

 むかし、をとこありけり。(ひんがし)の五(でふ)わたりにいと(しの)びていきけり。(みそか)なる所なれば、(かど)よりもえ入らで、(わらは)べの()みあけたる築地(ついひぢ)のくづれより(かよ)ひけり。人しげくもあらねど、たびかさなりければ、あるじきつけて、その通ひ路に、夜毎(よごと)に人をすゑてまもらせければ、いけどもえ()はで歸りけり。さてよめる。

人知れぬわが通ひ路の關守(せきもり)はよひよひごとにうちも寢ななむ

とよめりければ、いといたう心やみけり。あるじゆるしてけり。

 二條の(きさき)に忍びてまゐりけるを、世の聞えありければ、兄人(せうと)たちのまもらせ(たま)ひけるとぞ。

 

                           

 むかし、をとこありけり。女のえ得まじかりけるを、年を()てよばひわたりけるを、からうじて(ぬす)()でて、いと(くら)きに來けり。芥川(あくたがは)といふ(かは)()ていきければ、草の上におきたりける(つゆ)を、「かれは何ぞ」となむをとこに()ひける。ゆくさき多く夜もふけにければ、(おに)ある所とも知らで、~(かみ)さへいといみじう()り、雨もいたう()りければ、あばらなる(くら)に、女をば(おく)におし入れて、をとこ、弓籙(ゆみやなぐひ)()ひて戸口(とぐち)()り。はや夜も明けなむと思ひつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。「あなや」といひけれど、~鳴るさわぎにえ聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば()て來し女もなし。足ずりをして()けどもかひなし。

白玉(しらたま)かなにぞと人の問ひし時(つゆ)と答へて()えなましものを

 これは、二條の后のいとこの女御(にょご)(おん)もとに、(つか)うまつるやうにてゐ(たま)へりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、(ぬす)みて()ひていでたりけるを、(おん)兄人(せうと)堀河(ほりかは)大臣(おとど)太郎國經(たろうくにつね)大納言(だいなごん)、まだ下らふにて内へまゐり給ふに、いみじう泣く人あるをきつけて、とめてとりかへし給うてけり。それをかく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて、后のたにおはしける時とや。

 

        七

 むかし、をとこありけり。京にありわびて、あづまにいきけるに、伊勢(いせ)尾張(おはり)のあはひの海づらを行くに、(なみ)のいと白く立つを見て、

いとしく過ぎゆく方の(こひ)しきにうらやましくもかへる浪かな

となむよめりける。

 

                           

 むかし、をとこありけり。そのをとこ、身をえうなき物に思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき國(もと)めにとて行きけり。もとより友とする人ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくて、まどひいきけり。三河(みかは)の國、八橋(やつはし)といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手(くもで)なれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋といひける。その(さは)のほとりの木の(かげ)に下りゐて、(かれいひ)食ひけり。その澤にかきつばたいとおもしろく()きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字(いつもじ)を句の(かみ)にすゑて、(たび)の心をよめ」といひければ、よめる。

から(ごろも)きつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

とよめりければ、皆人、(かれいひ)のうへに(なみだ)おとしてほとびにけり。

 行き行きて、駿河(するが)の國にいたりぬ。宇津(うづ)の山にいたりて、わが入らむとする道は、いと(くら)(ほそ)きに、つたかへでは(しげ)り、もの心ぼそく、すろなるめを見ることと思ふに、修行者(すぎゃうぢゃ)あひたり。「かる道はいかでかいまする」といふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の(おん)もとにとて、(ふみ)書きてつく。

駿河(するが)なる宇津(うづ)の山べのうつにも(ゆめ)にも人にあはぬなりけり

 富士(ふじ)の山を見れば、五月(さつき)のつごもりに、雪いと白う降れり。

時知らぬ山は富士の()いつとてか鹿()の子まだらに雪の降るらむ

 その山は、こにたとへば、比叡(ひえ)の山を二十(はたち)ばかり(かさ)ねあげたらむほどして、なりは鹽尻(しほじり)のやうになむありける。

 なほ行き行きて、武藏(むさし)の國と(しも)(ふさ)の國との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりにむれゐて思ひやれば、限りなく遠くも來にけるかなとわびあへるに、渡守(わたしもり)、「はや(ふね)に乘れ、日も()れぬ」といふに、乘りて(わた)らむとするに、(みな)人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる(おり)しも、白き鳥の(はし)(あし)と赤き、(しぎ)の大きさなる、水のうへに遊びつ(いを)をくふ。京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず。渡守に()ひければ、「これなむ都鳥(みやこどり)」といふをきて、

名にし()はばいざこととはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。

 

                           

 むかし、をとこ、武藏(むさし)の國までまどひありきけり。さて、その國に()る女をよばひけり。父はこと人にあはせむといひけるを、母なむあてなる人に心つけたりける。父はなほびとにて、母なむ藤原(ふじhaら)なりける。さてなむあてなる人にと思ひける。このむこがねによみておこせたりける。住む所なむ入間(いるま)(こほり)、みよし野の里なりける。

  みよし野のたのむの(かり)もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる

 むこがね、(かえ)し、

  わが方によると鳴くなるみよし野のたのむの雁をいつか忘れむ

となむ。人の國にても、なほかることなむやまざりける。

 

                            十二

 むかし、をとこありけり。人のむすめをぬすみて、武藏野(むさしの)()て行くほどに、ぬす人なりければ、國の(かみ)にからめられにけり。女をば草むらのなかにおきて、()げにけり。道來る人、「この野はぬす人あなり」とて、火つけむとす。女、わびて、

  武藏野はけふはな()きそ若草(わかくさ)のつまもこもれり(われ)もこもれり

とよみけるをきて、女をばとりて、ともに()ていにけり。

 

                            十四

 むかし、をとこ、陸奥(みち)の國にすろに行きいたりにけり。そこなる女、京の人はめづらかにや(おぼ)えけむ。せちに思へる心なむありける。さて、かの女、

  中なかに(こひ)に死なずは桑子(くはこ)にぞなるべかりける(たま)()ばかり

(うた)さへぞひなびたりける。さすがにあはれとや思ひけむ、いきて()にけり。夜深く()でにければ、女、

  夜も明けばきつにはめなでくたかけのまだきに鳴きてせなをやりつる

といへるに、をとこ、京へなむまかるとて、

  栗原(くりはら)のあねはの(まつ)の人ならば(みやこ)のつとにいざといはましを

といへりければ、よろこぼひて、「思ひけらし」とぞいひ()りける。