紫式部日記(むらさきしきぶにっき)

紫式部

 

    いまはやうやうおとなびさせ給ふままに、世のあべきさま[no1] 、人の心のよきもあしきも、過ぎたるもおくれたるも、みな御覧(ごらん)じしりて、この宮わたりのことを、殿上人(てんじゃうびと)もなにも目なれて、ことにをかしきことなしと思ひいふべかめりと、みな知ろしめ[no2] いたり。さりとて、心にくくもありはてず[NO3] とりはづせ[no4] ば、いとあはつけい[no5] こともいでくるものから、なさけなく[no6] ひき入り[no7] たる、かうしてもあらなむとおぼしのたまはすれど、そのならひ[no8] なほり難く、また今やう[no9] 君達(きんだち)[no10] といふもの、たふる[no11] るかたにて、あるかぎり[no12] みなまめ人[no13] なり。齋院(さいゐん)などやうの所にて、月をも見、花をもめづる、ひたぶる[no14] (えん)なる[no15] ことは、おのづからもとめ思ひてもいふらむ。朝夕(あさゆふ)たちまじり、ゆかしげなきわたりに、ただごと[no16] をも聞き寄せ、うちいひ、もしはをかしきことをもいひかけられて、いらへ恥なからずすべき人なむ、世に難くなりにたるとぞ、人々はいひ侍るめる。みづからは見侍らぬことなれば、え知らずかし。

かならず、人の立ちより[NO17] はかなき[no18] いらへをせむからに[NO19] にくい[NO20] ことひき出で[NO21] むぞあやし[NO22] き。いとようさてもあり[NO23] べきことなり。これを、人の心ありがたし[NO24] とはいふに侍るめり。などか[NO25] かならずしも、(つら)にくく[NO26] ひき入り[NO27] たらむがかしこから[NO28] む。また、などて[NO29] ひたたけて[no30] さまよひ[NO31] さし出づ[NO32] べきぞ。よきほどに[NO33] をりをり[NO34] の有様にしたがひて、(もち)ゐむ[NO35] ことのいと難きなるべし。

まづは[NO36] 宮の大夫(だいぶ)[no37] まゐり給ひて、(けい)[NO38] させ給ふべきことありけるをりに、いとあえか[no39] ()めい給ふ上臈(じゃうらふ)たちは、對面(たいめん)し給ふこと難し。また、あひても何事をか、はかばかしく[no40] のたまふべくも見えず。言葉の足るまじきにもあらず、心の(およ)ぶまじきにも侍らねど、つつまし[no41] 、はづかしと思ふに、ひがごと[no42] もせらるるを、あいなし[no43] すべて聞かれじ[NO44] と、ほのかなるけはひをも見えじ[NO45] ほかの人[NO46] [NO47] 侍らざなる[NO48] 。かかるまじらひ[no49] なりぬれば、こよなき[no50] あて人[no51] もみな世にしたがふなるを、ただ姫君(ひめぎみ)ながら[NO52] もてなし[NO53] にぞ、みなものし[NO54] 給ふ。下臈(げらふ)いであふ[NO55] を、大納言(だいなごん)[NO56] こころよからずと思ひ給ひたなれば、さるべき人々里にまかで[NO57] (つぼね)なるも、わりなき[no58] (いとま)[NO59] さはる[no60] をりをりは、對面(たいめん)する人なくて、まかで[NO61] 給ふときも侍るなり。そのほかの上達部(かんだちめ)[no62] 、宮の(おほん)かた[NO63] にまゐり()れ、物をも(けい)[NO64] させ給ふは、おのおの、心よせの[no65] 人、おのづからとりどりに[no66] ほの知りつつ、その人ない折は、すさまじげ[no67] に思ひて、たち出づる[NO68] 人々の、ことにふれつつ[NO69] 、この宮わたり[NO70] のこと、「(うも)[no71] たり」などいふべかめるも、ことわりに侍る。

齋院(さいゐん)わたりの人も、これをおとしめ[no72] 思ふなるべし。さりとて、わがかたの、見どころあり、ほかの人は目も見しらじ、ものをも聞きとどめじと、思ひあなづら[no73] むぞ、またわりなき。すべて人をもどく[no74] かたはやすく、わが心をも(もち)ゐむことは難かべいわざを、さは思は[NO75] 、まづわれさかし[no76] に、人をなきになし[no77] 、世をそしるほどに、心のきは[no78] のみこそ見えあらはるめれ。

いと御覧ぜさせまほしう侍りし文書きかな。人の(かく)しおきたりけるをぬすみて、みそかに見せて、とりかへし侍りにしかば、ねたう[no79] こそ。

和泉式部(いずみしきぶ)といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉(いずみ)けしからぬ[no80] かたこそあれ。うちとけて[NO81] 文はしり書きたるに、そのかた[NO82] (ざえ)ある人、はかない[NO83] 言葉の、にほひ[NO84] も見え侍るめり。歌は、いとおかしきこと、ものおぼえ[NO85] うたのことわり[NO86] 、まことの歌よみざまにこそ侍らざめれ、口にまかせたることども[NO87] に、かならずをかしき一ふしの、目にとまるよみそへ侍り。それだに[NO88] 、人の詠みたらむ歌、難じ[no89] ことわり[no90] ゐたらむは、いでや[NO91] さまで心は得じ[no92] [NO93] 口にいと歌の()まるる[NO94] なめり[NO95] とぞ、みえたるすぢ[no96] に侍るかし。はづかしげ[no97] の歌よみとはおぼえ侍らず。

丹波(たば)の守[NO98] の北の方をば、宮殿などのわたりには、匡衡衛門(まさひらゑもん)とぞいひ侍る。ことにやんごとなき[no99] ほどならねど、まことにゆゑゆゑしく[no100] 歌よみとて[NO101] 、よろづのことにつけて()みちらさねど、聞こえたるかぎりは、はかなきをりふしのことも、それこそはづかしき[no102] 口つき[NO103] に侍れ。ややもせば、(こし)[no104] はなれぬばかり折れかかりたる歌()みいで、えもいはぬ[NO105] よしばみごと[no106] しても、われかしこに思ひたる人、にくくもいとほしく[no107] もおぼえ侍るわざなり。

清少納言(せいしょうなごん)こそ、したり顔にいみじう[NO108] 侍りける人。さばかり[no109] さかしだち[no110] 眞字(まな)[no111] 書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいとたへ[no112] ぬこと多かり。かく、人にことならむ[NO113] と思ひこのめる人は、かならず見劣(みおと)りし、行くすゑうたて[no114] のみ侍れば、(えん)になりぬる人[NO115] は、いとすごうすずろ[no116] なるをりも、もののあはれにすすみ[NO117] 、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじく[no118] あだ[no119] なるさまにもなるに侍るべし。そのあだになりぬるひとのはて、いかでかはよく侍らむ。

かく、かたがたにつけて、一ふし[no120] の、思ひいでらる[no121] べきことなくて、過ぐし侍りぬる人の、ことに行くすゑのたのみもなきこそ、なぐさめ思ふかただに侍らねど、心すごう[no122] もてなす身ぞとだに思ひ侍らじ。その心なほ()せぬにや、もの思ひまさる秋の夜も、はし[no123] に出でゐてながめば、いとど[no124] 、月やいにしへほめてけむと、見えたる有様もよほす[no125] やうに侍るべし、世の人の()むといひ侍る(とが)をも、かならずわたり[no126] 侍りなむと、はばかれて、すこし奥にひき入りてぞ、さすがにこころのうちにはつきせず思ひつづけられ侍る。


 [no1]あるべきようす

 [no2]しろしめす、御存知である

 [NO3]どこまでも奥ゆかしくしていることも出来ないで

 [no4]とりはづす、まかりまちがうと、ひょっとした拍子に

 [no5]あはつけし、軽率だ、うすっぺらだ

 [no6]なさけなし、無風流だ、興ざめだ

 [no7]引き入る、引きこもる

 [no8]習慣

 [no9]今様、当世、現代

 [no10]貴族の娘・息子

 [no11]倒る、折れて出る、頭を下げる

 [no12]残らず

 [no13]忠実人、真面目な人

 [no14]一途に、ひたすら

 [no15]うっとりするように美しい

 [no16]世の常の事件

 [NO17]訪れる

 [no18]はかなし、しっかりしない、つまらない

 [NO19]ゆえに、から

 [NO20]感心な

 [NO21]引き出づ、引き出す、引用する

 [NO22]不思議である

 [NO23](動作の強調)

 [NO24]めったにない、すぐれている

 [NO25]どうして

 [NO26]面憎し、みにくいほど

 [NO27]引きこもる、遠慮がちにする

 [NO28]すぐれている

 [NO29]どうして

 [no30]ひたたく、落ち着きがない、しまりがない

 [NO31]心が定まらない

 [NO32]人前に出る

 [NO33]適当に

 [NO34]そのつど

 [NO35]心を使う、思慮分別する

 [NO36]はじめに、初めの例として

 [no37]中宮大夫、中宮職の長官

 [NO38]申し上げる

 [no39]弱弱しい、きゃしゃな

 [no40]はきはきと

 [no41]遠慮される

 [no42]間違い

 [no43]無益だ、しないほうがいい

 [NO44]何事も聞かれまい

 [NO45]ちょっとした気配・物腰も見えないようにしようとする

 [NO46]上臈以外の人

 [NO47]そのように

 [NO48]はべら(ざ)るなる? いらっしゃらないそうである

 

 [no49]交際

 [no50]格段の

 [no51]高貴な人

 [NO52]のままで、であるが故

 [NO53]対応

 [NO54]おっしゃる

 [NO55]出て会う

 [NO56]藤原斉信

 [NO57]退出する

 [no58]やむをえない

 [NO59]ひま

 [no60]差し支える

 [NO61]罷づ、退出する

 [no62]公卿

 [NO63]お住まい

 [NO64]申し上げる

 [no65]ひいきしている

 [no66]それぞれに

 [no67]興味がなさそう、つまらなそう

 [NO68]立ち去る

 [NO69]何かにつけて

 [NO70]宮にお仕えしている人々

 [no71]引っ込み思案、消極的だ

 [no72]軽蔑する

 [no73]侮る

 [no74]批判・非難する

 [NO75]〜ずに、〜ないで

 [no76]利口ぶって、自分こそ賢いという態度で

 [no77]数から外す、ないがしろにする

 [no78]程度、底の浅さ

 [no79]憎らしい、腹が立つ

 [no80]常軌を逸している、不都合だ

 [NO81]くつろいで

 [NO82]方面、分野

 [NO83]ちょっとした

 [NO84]きわだった美しさ

 [NO85]色々なことについての知識

 [NO86]歌論

 [NO87]口に任せた即興の歌

 [NO88]それほどの歌人であっても

 [no89]非難する

 [no90]判断する、批評する

 [NO91]いや本当に

 [no92]合点がいかない

 [NO93]心得ず、合点がいかない、わけがわからない

 [NO94]口先で自然に歌がすらすら詠める

 [NO95]であるようだ

 [no96]歌風

 [no97]こちらが引け目を感じるほどの、立派な、大した

 [NO98]大江匡衡

 [no99]重きをなしている、一流だ

 [no100]由緒ありげである、どことなく威厳がある

 [NO101]歌人として

 [no102]素敵だ、立派だ

 [NO103]歌の詠みぶり

 [no104]腰の句

 [NO105]言うに堪えない

 [no106]気取ったこと

 [no107]みっともない

 [NO108]高慢ちきな顔をして大変な

 [no109]あんなに

 [no110]利口ぶる

 [no111]漢字

 [no112]することができる、十分である

 [NO113]人から抜きん出よう

 [no114]情けない、感心しない

 [NO115]優雅に振舞うことに慣れている人

 [no116]関心がない

 [NO117]はやる、勇む

 [no118]そうあるべきではない

 [no119]無駄だ、はかない

 [no120]一件

 [no121]思い当たる

 [no122]凄し、寂しい

 [no123]きざはし

 [no124]ますます、いっそう

 [no125]うながす、さそう

 [no126]やって来る